大工道具の話         建築用語集
鑿(のみ) 鋸(のこぎり) 鉋(かんな) 差金(さしがね) 墨壷(すみつぼ)
手斧(ちょうな) 玄翁(げんのう) 錐(きり) 砥石(といし) 罫引き(けひき)
大工道具・電動工具やインテリア洋品を探すなら TAKUMI Amazon

TAKUMI Amazonから、タクミ商店に使えそうな道具を集めてみました。


差し金(サシガネ)

 差金(さしがね) <鋼やステンレスまたはシンチュウ製の、直角に折れ曲ったものさし。曲尺(かねじゃく)ともいう>
   
 大工道具といいますと、打ったり、削ったりといったように、木材を加工、細工をするものです。
つまり、刃物が多いものです。
ところが、いきなり木材を加工できません。
建物を作るための基本とも いうべき設計は別としても、
設計に従って加工するための基準、つまり切る長さや厚さを決めてやらなければ、細工はできません。
どこをどう切ったり、穴をあけたりするかを指示するための道具が必要です。
それを計るのが差金です。

 一軒の建物を作るにあたって、大工達は差金=ものさしを使って、材料に基準となる墨をつけます。
今では簡単にものさしを買うことができますが、ものさし、つまり長さを計ることには長い歴史が隠されています。
現在では、日本国政府によりメートル法が正規の単位として、官定されています。
ですから、誰でも当り前のようにメートルやセンチを使用します。
ところが、メートル法は、戦後になって西洋諸国にならって、本格的に使用が開始されたものです。
それ以前は、様々な長さの単位が使用されていました。
 
 高麗尺、唐尺、大宝大尺、小尺…。いずれも中国・朝鮮より渡来しましたものです。
一般に、度量衡という<はかり>の体系は、その時代やある地方の統治形態と密接にからんでいて、貨幣などと同様に、統治の根幹をなしています。

表目:1/33m=1尺が刻まれている
裏目:表目に√2を掛けたものが刻まれている
丸目:表目を円周率で割ったものが刻まれている
 差し金の別名を曲尺といいますが、曲尺(かねじゃく)というと、すぐ大工の使うピカピカした曲ったものさしを想像されるかも知れません。
曲尺には二つの意味があります。一つは、長さや直角を見るための道具としての意味です。
もう一つは、その道具に刻まれている長さの単位です。
大工の使うといっただけで、尺や寸を思いうかペるかも知れませんが、尺や寸はあくまで長さを計る単位です。
ですから、道具としての曲尺にメートル法の目盛りを刻んでも、曲尺が曲尺であることには何の変りもありません。
現在ではメートル法が主流づすから、曲尺より差金という方が多いでしょうか。

 建築の世界で、材料に寸法を印すには、長さの基準となる尺をもとに、尺杖(しゃくづえ)とか検棹(けんざお)というものを使います。
尺杖は、木目のよく通った長い良材で、狂いの少ないもので作りますが、これが、その建物の長さや高さを押さえる物差しになります。
また、直角を見るには、スコヤつまり直角定規のようなものを使っていました。
当時の直角定規には、目盛りが何もついていなかつたようです。
長さを測る物差しと直角定現が合体しものが、差金です。
     
 明治以前は、大工の使う曲尺には、土地によって違った目盛りが刻まれていました。
現在ですと、1メートルの長さが場所によって違ったりすると、大変な不都合がおきます。
しかし当時は、現場加工が大部分だったために、その地方でだけそろっておれば、それでも通用したのです。
長さの単位のことは、大切な話でますが、それは学者の方に研究してもらって、材質のことに話しを進めます。
 
 いくら江戸時代でも、各大工が勝手に差金=曲尺を作っていたわけではありません。
計処の役人から拝領した基準となる物差しがありました。
これは玉綱を鍛えて作った鋼製です。
この正尺をもとに、職人達は、シンチュウや鋼で副尺を作り、毎日の仕事に使用したのす。

 ところが、当時の技術では、薄くて長いものに焼入れをするには大変な困難がありました。
ですから、正尺は鋼といっても、腰の弱いものでした。
江戸時代も文久の頃になって、はじめて曲尺に上手く焼き入加工して、腰の強いしっかりしたものを作りました。明治になって外国との貿易が始まり、和鋼はすたれ洋網つまり精錬網へと、曲尺の材料は変化します。

 明治23年に、新政府によって度量衡法が制定されました。
それまで全国でばらばらだった単位が統一されました。
その時に、一寸を1メートルの1/33、一尺を10/33とすることになりました。
大工の世界でも、それまで使用しておりました曲尺も検定を受けなければ違法だということになりました。
検定に通ったものには定と印した曲尺が市販されました。
この時の検定は、大変厳しく、かつ徹底したものだったらしく、今日私共が古い曲尺を、見つけようとしましても、なかなか見かけることができません。
 昭和6年、東京の川口度器がはじめてステンレス材にて曲尺を作りました。
当時の価格として大工手間3人分の4円50銭という高価なものでした。

 ステンレスの曲尺ができて、今までの鋼製曲尺は姿を消しました。
しかし、ステンレスものは錆なくて良かったのですが、光って年寄りには、見にくいものでした。
年寄り、老大工と、歳の話が出ますが、大工の仕事の内容と関係があります。

 新人が入ってくると、あてがわれる道具はチビたカンナの刀あたりで、研ぎからはじめることが多いのです。
カンナにしろ、ノコギリにしろ、いずれも加工するための道具です。
ところが、差金は寸法や印をつけるだけの道具で、建物全体が頭の申に入っていないと、どこを切って、どこに穴をあけてという指示ができません。
建物全体が判り、加工技術を体得した後、道具使いの最後にたどりつくのが、差金使いです。
ですから、差金は総括責任者つまり棟梁が持つものなのです。

 棟梁ともなりますと、年齢のいった者が多いわけですから、曲尺は年寄り向きという話が多くなります。
長い歴史にはぐくまれた曲尺の使用方法は、大変高度で複雑なものです。
曲尺一本で、掛け算、割り算、二乗の開平、比例配分、三角法等々といったことができます。
そうした算術を駆使しまして、屋根の勾配ですとか、隅木の角度ですとか、何でも加工する基準墨を印すのす。
こうした曲尺の使用法を、規矩(きく)術と呼んで、それだけを書いた本が何冊も出版されています。

 戦後のメートル法本位と申しますか、尺貫法の禁止には大工達は困りました。
何センチ何ミリでは、目盛を見るだけで大変だと、大もめでした。
建築界などを特例として少しずつ延び延びになり、大工用曲尺に限り昭和35年まで製作が許可されました。
昭和40年もだいぶ過ぎて、日本建築にはやはり古来からの寸法でなければと、世間でさわがれはじめました。
それで、とうとう1/33という記号を入れた尺貫法の曲尺が再び作られるようになりました。
 しかし、役所にだす建築図面はメートル表示ですから、今では曲尺は、メートル物、尺物が半々といったところです。
いやメートル日盛りのほうが、多いかも知れません。
ちなみに、奈良の薬師寺に再建された三重の塔は、メートル法によって図面がかかれ、現場の職人達もメートル法の曲尺を使っておりました。
使いなれればメートルでも、尺でも、具合よく使えるようです。
差金=曲尺は電動工具全盛の昨今、今もって大工道具の主力の座で使用されています。

大工道具の話の目次へ戻る