M邸を担当する  

 専門学校を卒業して、初めて「リューゲ」の現場を担当したのが20歳のとき。
5年たった今ででは、それなりに一人前。
いろいろと苦労はするけど、おもしろく充実した毎日。
今回の現場は、総工事費1200万円の鉄筋コンクリート造3階建ての住宅です。
坪37万円と、なぜか私の担当する現場は、超緊縮予算ばかり。
絶望的な金額からの出発でした。

 初めに 大胆な決断があった。
 建主が必要とするアトリエと住宅の条件を満たすためには、今の敷地では狭すぎる。
だからといって適当な土地も見つからない。
だいたい建主はお金がないという。
そこで、予算は木造2階建てのままで、鉄筋コンクリート+重量ブロック造3階建の住宅を建てようというのだ。
もちろん設計事路所というのは、どうしたら夢を現実のものにできるかを考える所でもある。
だから、あらゆる可能性を考え、具体化してゆく。
が…、これは理解ある建築主と良い関係を持っていたからこそ、踏み切れた結論であった。


下から1F〜3F
容積率不足のため、すべての床が張れな
かったので、3Fを吹抜とした。検査後に、
床を張った。

 世の中には、50万のものを30万で建てましょう、というお人好しはめったにいない。
だから、何とかして予算を有効に使う方法を、考えなければならない。
何を削って何を残すか、それが設計のポイントにもなる。
まず何としても落とせないのは、後で手が入れられす、建物の寿命を決定する躯体である。
そこでキチンとした構造設計のもとに、優良な材料で慎重に施工した打放しコンクリートとし、
外壁は防水性のある重量ブロックの化粧目地積みとした。

 1階は仕事場、2階は居間、厨房、サニタリー、3Fは寝室。
ほとんどガランどうの部屋で、天井も打数し、壁はブロックのまま。
床だけは断熱材をはさんで、すこし暖かく暮らせるよう考慮した。
設計のイメージは、アールの屋根、丸窓を持った縦長の外観と南側の広い開口、内部は吹抜け部分から見上げるアールの天井である。

 全体の押えと大胆な結論を建築主とつめた後、私が担当となり実施設計に入る。
建物はこの基本設計まででほとんどが決まってしまう。
後は居住性や材料、納まり等を考慮しながら、いかに現場にイメージを伝え、現実を近づけて行くかが勝負となるのである。

 3月の初め、確認申請はもめにもめた。
ケンカッ早い私の性格が禍いした面もあるのだが、
金融公庫のまじめな担当官はこれを住宅とは認めないのだ。
倉庫だ、事路所だ、工場だとあまりいうので、
建築主に<私的なアトリエとして使います>と一筆入れてもらったのだが、
なおも納得しない。
前面道路の幅が足りないとか、(株)匠総合事務所の(株)がぬけているとかと、
何かと呼び出したあげく、これは金融公庫の貸出基準の<優良な住宅>にあたらないといい出した。
具体的な貸付基準はすべて満たしているのだが、これには有効な対応策がなくなった。
金融公庫センターと建築主事に頼み込んでようやくOKとなった。
何とこれだけでゆうに2ケ月もかかってしまった。

 その間に進めていた業者選びも難航した。
業者にはコンクリート工事というのはこのくらいかかる、という先入観があるせいだろうか。
実際にキチンと見積りをし、段取り良く工事をすれば見合う予算でも、簡単には納得をしてもらえない。
特にキチンとした会社であればあるほど、キチンと管理をするための経費を考えると手を出しにくいらしい。
また坪単価によって建築のレベルを計る習慣があるために、
ある一定の坪単価以下の仕事はしないという、会社の建前やプライドのようなものもあるようだ。
おそらくそうした理由なのだろう、最後のつめの段階で、あてにしていた業者が降りてしまった。


 コンクリート壁1uあたりの
原価は、
1.)¥4,500/uの型枠が両面だから×2で¥9,000
2.)コンクリートが¥1,500
3.)打設手間+鉄筋が
約¥2,500
1+2+3=¥13,000/u

それに対して、ブロック壁は
材料+手間=¥5,000/u

です。
 最終的にコンクリート工事を始めて間もない、中堅どころの内装業者に仕事をだすことになった。
「予算は合わせます。これからコンクリート工事でも伸びようとしていますので、これを機会によろしくお願いします」というような挨拶のもとに、
工事期間は5ケ月、余裕を持って10月末に引渡しの工事請負契約となった。
工事はようやく始まった。もう5月も末である。

 町場の大工さんと違って、請負業者として建築会社があいだに入る場合は、
設計事務所はつい楽をしがちである。
施工図は書いてもらえるし、職人の手配も、現場の管理もしてくれる。
場合によっては事移所の描いた<納まら図>で、現場をキチンと納めてもらえる場合もあるようだ。
しかし今回の揚合は、コンクリート工事を始めて間もない会社であるから、
こちらも現場で精一杯フォローをしてゆくつもりであった。

 さて、現場監督さんは東急建設に13年いたという大柄で汗っかきの、
その名もO氏(ちなみに、隣りの奥さんは密かに「梨本さん」と呼んでいた)。
まかせて下さいとドンと胸をたたいたのはいいが、現場に来ないし、施工図も最初の一枚しかあがらない。
それどころか鉄筋屋さんも、型枠大工さんも図面と違う施工をしている。
これは囲ったと、会社に連絡をしても、
「Oに聞いてくれ」の一点ばり。

 設計事路所は現場監督をとおして指図をするのが原則だが、現場監督と連絡がとれないのでは仕方がない。
とりあえず職人の仕事を止め、どうにかO氏をつかまえ、所長と二人で現場に出て、手直ししてもらう。

 その後もO氏は現場に来ないし、大工さんは図面もないのに仕事をしている。
(後で秘かに間違った図面が渡っていたことがわかったが……)
会社は「Oにまかせてある」の一点ばり。
こうなったら日参です。原則などとは言っていられません。

 しかし、お寺の屋根や、読売ランドの波打った屋根を仕上げた腕自慢の大工さんだけに、
一徹でけじめも筋もキッチリしないと気がすみません。
「お願いします。図面と違うのでココを直して下さい」
といっても
「設計事務所が直接職人にガタガタいうなんて筋違いなんだよ。会社を通してやってくれ」
とはねつけられます。
最後には怒ってしまって
「あんたがいると仕事になんねえんだ。帰ってくれ」
とどなられてしまった。
しかたなくその場は退散、3時を見計らって買っていったおやつも手もつけてもらえず、それからは、ケンカケンカの毎日です。

 筋から言えば大工さんの言うことの方がもっともです。
会社の指示なしで余計な仕事をすれば、かかった材料も手間も持出しになるばかりか
指示通りやらなかったからと、一銭ももらえない可能性すらあるのです。
それでも毎日のように現場にでて掃除をしたり、材料を買って来て頼み込んだり、
型枠変更の墨出しを現場でしたりしているうちに、やがては心をひらいてもらった。
そして、「しょうがねえなあ」で、やってもらえるようになりました。

 その頃になると、会社もO氏の事情を少しずつ把握し始めました。
また、私も職人たちと気持ちがつうじ始めました。
本格的にこちらで施工図を引き、現場で原寸図をおこし、墨出しをしながら仕事を進め、
たとえば鉄筋屋に言うことを聞いてもらえず適当に鉄筋を組まれた時には、
自分で1ケ所ずつ直してゆけば、鉄筋屋もキチンと仕事をするようになる事等もどうやら少しずつわかってきた。

 O氏が現場監督を降ろされたのを機会に、社長に頼み込み、それまでO氏の下についていた若い人(K氏)を現場につけてもらう事になった。
K氏は、アイパーにサングラスをかけてチコピひげをはやし、スーツで現揚に来てはすぐ行方不明になってしまう囲った人ですが、それでも職方の手配をしてもらえるのでずいぶん違います。
一見すると28・9才に見えますが、あのスピーカーをガンガン鳴らして日の丸をかかげた車に乗りたいとか、フダで2万すったとか言っているので年を聞いたところ、なんと19才でした。

 それまでの様子から、彼の働きにはあまり期待をしていなかったのですが、
そのうち大工さんの型枠仕事を、スーツが汚れるとか皮靴がいたむとかブツブツいいながらも手伝い始め、
2週間とたたないうちに顔付きが変わってきて、朝、必死に起きて作業服に着替え、大工さんにからかわれながらも一生懸命仕事をし、責任を持って現場の手配をするようになりました。
その変わり方は急激で、私には大変な驚きでした。

 あまりゆっくり工事をしていたので目立ったのか、
お祭りの遊び金をせぴりに、くりからもんもんのお兄さんが、軍手を売りに何日も現場に来たりもしました。
しかし、コンクリート工事は何とか3人4脚で乗り切り、8月末、仕上工事に突入しました。
作成に日数のかかるサッシを、まだ発注していないとか、内装材や畳も発注していないとか、
屋根屋が屋根が葺けなくて、1ヶ月も通うとか問題はつきません。
ようやく屋根が葺き上がり、中間検査を通す時には何と11月も末日になっていました。

 仕上工事はお手のものの会社ですから、最後は次長をかり出して、ようやく年内の完成を見る事ができました。
何と2ヶ月も遅れて、7ヶ月に渡る工事でした。
建主にさんざん心配と迷惑をおかけし、悔いの残る工事となりましたが、産みの苦しみが大きかっただけに、私にとっては忘れられない仕事となりました。

 後半には責任を持って仕事をし、自分のミスもフォローし、
時にはちゃめっ気たっぶりにこちらの間違いも指摘してくれるようになった、我が戦友K氏が、引渡しの直前に、手を真っ赤にして建物を磨き込んでいるのを見て、彼も又、この建物への思い入れが深いのであろう事が伝わり、胸に残るものがありました。(T記)

 後日談:M邸は、Mさんと奥さん、それに娘さんという3人の建築主たちに愛されました。
室内はむきだしのブロックですが、結婚して家をでた娘さんによれば、夏は涼しく冬は暖かいと好評です。
途中で一度、元日に水道の調子が悪くなり、正月に呼び出された記憶がありますが、それ以外には大したトラブルもなく、今日に至っています。
また、担当者だった女性は15年以上在職し、転職し独立への道を準備しています。   
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